鉄バド報告書

報告書

最終更新01/01/16

祝男子シングルス優勝!(鉄門だよりより)
(清末有宏 1999.09.12)

 4回目にしてようやく念願のタイトルを取ることができた。一昨年・昨年も「うま
くいけば優勝できる」と思っていたのだが、五百数十人のトーナメントというのはそ
んなに甘いものではなかった。ともにベスト8で終わっていた。
 今年の勝因は主に3つほどある。まず一つは直前期の調整が完璧だったことであ
る。大会2週間前に食中毒様の症状が出て苦しめられたのだが、これで逆にその後10
日間ほどの調整に集中することができた。直前期の調整には自分のコンディションに
ついてコンシャスになることが重要で、今回は一度逆境に追い込まれることで逆にこ
れがうまく実現できたわけである。
 二つ目はもっと長期的な調整、特にメンタル面についての調整ががうまく行ってい
たことである。実は今シーズンに入ってからタイトルを狙っていたトーナメントが東
医体以外に2つあり、ともにベスト8で終わっていたのだが、これによって東医体に
向けて自分のモチベーションが高く保たれていた。やはり我々医学生がスポーツに対
してモチベーションを保つためには、それ相当の動機付けが必要であり、「悔しさ」
というのはその大きな要因になり得るものであると思う。
 そして最後には部の状態の良さが挙げられる。今年は主管業務の補佐の仕事があっ
たのだが、それらは他の部員たちが進んで引き受けてくれた。またコーチが大会期間
中あらゆる面でサポートしてくださった。僕はコートに入って試合をするだけという
最高の環境であった。こういう環境だからこそ「自分の仕事は試合に勝つこと」と良
い意味でのプレッシャーを感じることができ、これが試合での集中力につながってい
たと思う。
 来年も僕はやりますよ。

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鉄門だより (清末有宏 1998.11.19) 鉄門バドミントン部、堂々の東医体男子団体準優勝


昨年、一昨年ともにベスト8止まりと不本意な成績で終わっていた我々鉄門バドミントン部は、念願の優勝をめざし高田次郎コーチ(日本バドミントン協会)のもと努力を重ねてきていた。昨年秋の関東医科リーグ(男子1部)では部創立以来の初優勝を果たし、チームとしての勢いもあった。しかし、我々は東医体直前になって2つの大きな問題に直面することとなった。1つめは、昨年の東医体以来第1ダブルスとして戦ってきた佐藤(M3)が原因不明の右手首痛(後に有鉤骨骨折と判明)によりダブルスを断念し、シングルに専念することになったこと、2つめはエースの清末(M1)が東医体一ヶ月半前の東北大学との対抗戦で、滑る床に足をとられ左内側側副靭帯を痛め、練習への復帰が東医体2週間前の合宿からになってしまったことである。更に我々には東医体の主管業務をこなす必要もあり(実行委員長の杉浦(M2)もレギュラーメンバー)、まったくベストコンディションとは言えなかったが、とにかくやるべきことをやって試合に臨んだ。

我々のチームの特長は総合力である。攻撃型の杉浦・清末と、安定性の高い合山(M4)・藤田(M4)の二つのダブルスはまったくの互角で、どこと当たってもダブルスで1ポイント稼げることは確実である。あとは第1シングルの清末と第2シングルの合山が2ポイント稼ぐだけである。
  1回戦で格下の帝京大学をあっさり退けた我々の2回戦の相手は、成長著しい弘前大学であった。バドミントンの団体戦では2複3単のオーダーの組み方に結果が大きく左右されるのだが、ここでは予定通りエース清末を弘前のエース瓜田(3年)に当て、エース対決を制した我々が勝利をものにした。

準々決勝の相手は昨年度優勝校札幌医科大学であった。ここが大きなヤマであったが、相手のオーダーを読むことに冴えていたこの日の我々は、ここでも札医のエース菅原(2年)に清末を当てていき、ファイナルまでもつれる苦しい試合ではあったがエース対決を再び制し、勝利をものにした。
  準決勝の相手は我々が昨年あと1歩のところで敗れた昨年度ベスト4校旭川医科大学であった。ここでは合山が旭医のエース小岩(3年)を倒し、ついに我々は決勝進出の切符を手にいれた。
  決勝の相手は昨年度準優勝校東北大学であった。オーダーは東大にとって最高の組み合わせとなっていた。杉浦・清末が東北の第2ダブルスに、第1シングル清末が東北の第2シングルに、第2シングル合山が東北の第3シングルにそれぞれ勝てば、優勝である。しかも、過去の対戦成績からいけば、どのカードも分はかなりこちらにあった。しかし、そううまくはいかなかった。なみいる強豪校に対し全力を出し切り、なんとかここまで勝ち上がってきた東大に対して、東北大学は決勝戦までカードに恵まれ、余力十分であった。ダブルスこそ1‐1としたものの、シングルでは合山のいつもの人間離れした粘りのあるラリーも、清末のいつもの軽快なフットワークから繰り出す豪快なジャンピングスマッシュも見られず、結局我々は1‐4で敗れた。


最後になりましたが、お忙しい中応援に駆けつけてくださった清水孝雄教授、岡本進コーチ、OB・OGの先生方、本当にありがとうございました。

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女子関東リーグ優勝 (神津円 1998.10.22)

 去年の関東リーグで、来年は優勝できるんじゃないの、と言われたときはそんなことできるわけない、と思った。ところが今年になってみると、強かった6年生は皆引退し、スーパールーキーの話も聞かない。もしかしたら、と思えてきて層の厚さを武器にとまず2複3単を提案し(あえなく却下されたが)10月に入ってからケーキ断ちして優勝への願をかけ(かわりにアイスを食べまくっていた)直前には毎日御殿下へ通ってサーブ練習をし、とあらゆる努力をした。あとは気合いだけ。

ところがその気合いが木曜日あたりから急に失われ、私は欝状態に入ったまま試合を迎えた。やる気を起こせないまま臨んだ第一試合は相手を見くびっていたのが予想外に強く、いきなりファイナルセッティングラストオールでようやく勝つという失態を演じてしまった。その山梨戦は何とかかったものの、次の昭和戦で私はシングルスを落としてしまい、また2ー1という結果だった。リーグ戦なので一試合でも落とすと優勝争いにひびくかもしれない。明日も今日のような情けない試合をするわけには行かない。とりあえず欝状態から脱しようと思い定めた私は、夕食に大きなオムレツを平らげ、アイスを買って帰り、家にあった大きなみかんの缶詰と和菓子を御腹に納め何とか落ち着いた。

心を入れ替えて二日目はゲームに集中した、優勝候補の慶応が千葉に破れたおかげで私たちは一気にやる気を高め、最後の慶応との優勝決定戦はファイナルの末ダブルスを取り、意気消沈した相手にシングルスも楽勝し、あまりにラッキーな優勝が決まった。

でも実は、勝ったのもその運の良さだけのおかげではない。他校の試合の審判や、相互審、これは試合と平行してやると相当疲れる。それらを全て引き受けてくれたほかの人たち、練習のとき相手をしてくれた人たちに心から感謝している。

優勝したとはいえ、まだ入替戦が残っているので浮かれすぎずこれからも頑張ります

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新人歓迎練 (K藤 1998.10.20)

今日は新人歓迎練初日だった。事前に1年生にはメールを送ったり、英1の教室に乗り込んでビラを配ったりと、やることはやったつもりだが、正直1人も来なかったら...という不安感に駆られ、(というかファミコンのやりすぎで)最近寝不足だった。寝不足は本郷の医図書の授業で挽回し、「誰も来なかったら責任問題だぞ」という脅迫めいたK末さんの言葉を思い出しつつ駒場に向かった。東医体スタッフTシャツ(黄)+短パンという目立つ格好&発達した大腿筋で挑発した甲斐あってか、最終的に今日(19日)は3人(1年生2人、医進2年生1人)がバドミントンをしに来てくれた。練習内容はゲーム練が中心で、(中略)、いつになくハイリスクなジュージャンはI佐君が熱いラリーを制した。鹿鳴館に行ったが、結局はぐれたS浦さんとSs木君は来なかった。いつになく平均年齢の低い中、恒例の年功序列クイズもあっけなく制覇され、M野君が今話題のゲーム「怒 IKARI」に通じていることも判明、Mっ気があることもわかり、鉄バド係数が極めて高いことがうかがい知れた。あとはHさんの牛丼@根津吉野屋を食べてくれれば言うことはないであろう。いつになく高い鹿鳴館代に改めて自分もいい身分になったものだと満足する一方で、N羽さんを今日も接待し続ける自分を確認し、麻雀の上達も心に誓った。いつになく今日は女子の人数が少なかったが、そこのところが誤解されていないか心配だが、いい人材を掘り出せたと思う。責任問題に発展しないで良かった。明日も多くの人が来てくれることを願うばかりだ。

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清水先生ありがとうございます  (工藤洋太郎 1998.09.26)

今日、御殿下の練習から帰宅してメールをチェックすると清水先生からメールが来ていました。下に掲載された文を投稿してくださった上、写真館に置かれている画像も提供してくださいました。本当にどうもありがとうございます。これからも宜しくお願いいたします。

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夏の東医体を観戦して (清水孝雄 1998.09.26)

8月3日からの3日間、私はほとんど葛飾の体育館に通い詰めた。男子団体戦の決勝進出は言うまでも無いが、実はこの伏線は女子の大健闘があった。女子は昭和大を相手に、それこそマッチポイントを握られながら、そこから連続10ポイントを取るという大逆転を演じ、その勢いで最終セットもとり、そして、シングルスで勝負強い芳田さんが、これも大逆転を演じたのである。1000人近い選手を集めて、これを主催しながら、かつ勝負でも健闘した選手に乾杯。そして、大会委員長の雑務を全てこなし、最後には門番までやり、そしてレギュラーとして頑張った杉浦君の健闘にも敬服。私はすっかりバドミントンに入れ込んでしまい、毎週土曜日は御殿下に何人かの大学院生も連れていきながら、学生相手に遊んでもらっている。 部長 清水孝雄
http://bio.m.u-tokyo.ac.jp/www/index_j.htmll

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進学情報 (K藤 1998.09.25)

昨日東大駒場キャンパス掲示板において2年生の進学先が発表された。その結果はわが鉄バドに大きな影響を与えると思われるから、どうしてもここに発表せねばなるまい。
東京大学教養学部教務課は鉄バドにうれしい結果と、悲しい結果をもたらした。
悲しい結果からいこう。我が鉄門バドミントン部の2年男子部員数が1人減ることになった。ケンジ(20) (プライバシー保護のため匿名とさせていただきます) は前々からそういうことになるのではないか、と周りから危惧されていたのだが、誠に残念の極みである。
気を取り直してうれしい結果をお伝えしよう。我が鉄門バドミントン部の1年男子部員数が1人増えることになった。ケンちゃん(20) (プライバシー保護のため愛称とさせていただきます) は前々からそういうことになるのではないかと周りから期待されていただけに、誠に喜ばしいかぎりである。 近年定着しつつある、留年→主将 という出世コースに早くも乗ったには次期主将ポストが暗に約束されているという情報もある。
医学科進学後の留年は近年珍しくないが、教養時代の留年は大変まれであり、の今後の動向からは目が離せないであろう。一部では早くも、東医体最多出場記録を更新するのではないかとの見方もあるが、詳しいことは進学学の専門家であるS浦氏に聞いてみなければわからないであろう。
に投稿してもらうことも検討中であるが、が公式声明を発表次第、追って報告するつもりである。以上。

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祝 ホームページ開設 (くどう 1998.09.25)

試行錯誤してやっとそれなりのホームページに仕上げることができたかな。これは始まりに過ぎないからどんどん更新して成長させていきたいです。多くの人がこのページに積極的に参加してくれることを願っています。よろしく。

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